東京・新宿の喧噪から離れた場所に、ゆったりとした時が流れているような街がある。四谷三丁目駅に近い荒木町。細い路地が連なり、石畳がのぞき、夕暮れと共に小さな灯りが一つずつともり始める。どんな一軒に出会えるのかと想像をふくらませながら歩く時間もまた、この街の楽しみのひとつ。
荒木町は、かつて料亭、芸者置屋、待合が集まる三行地として栄えた花街。その記憶は今も、ノスタルジックな雰囲気。老舗と新店が混ざり合う街を楽しむなら、ミシュランガイド掲載店から一軒目を予約しておくのがおすすめ。ふらりと立ち寄って入れる店は多くない。荒木町の夜は少しずつ表情を変えていく。食事を終え、店の人に次の一軒を尋ね、店の灯りが増え始めた路地をまた歩くのも荒木町流の楽しみ。
食べる
四ツ谷 みね村/Yotsuya Minemura
荒木町の路地に暖簾を掲げる「四ツ谷 みね村」。こぢんまりとしていながら、心地よく整ったカウンター席で供される献立には、店主の峯村翔平さんが毎日打つ十割蕎麦や、すし店での経験を活かした蒸し鮨が、この店を印象づける。峯村さん曰く、荒木町は宝探しのような街だと話す。この街では、店へのアプローチは店先ではなく、街に足を踏み入れた瞬間からもう始まっている。
燗コーヒー 藤々/Kan Coffee Fujifuji
車力門通りのほど近くにある「燗コーヒー 藤々」は、燗酒好きの藤極武志さん、由衣さん夫妻が営む一軒。女将がかつてコーヒー職人だったこと、そして夫婦それぞれの旧姓に「藤」が入っていたことから、この店名が生まれた。昔懐かしい趣の店内で、主人は調理に徹し、着物姿の女将は燗番を担う。注文を受けてから一番だしを引くお椀物から種類豊富な甘味まで、品書きは常時60種ほど。食べたいものを選びながら、自分なりの流れを組み立てていく楽しさがある。とある日には空豆のアイスが品書きに載りきらなかったり、注文を受けてから「そんなのあったっけ」と笑いがこぼれたりするのも、この店ならでは。そんなやりとりの端々にも、夫婦の温かさがにじむ。
荒木町の楽しみ方
夕方6時過ぎに食事を始め、店を出る8時から9時頃に路地を歩く。まだ灯りのついていなかった店にも明かりがともり、街の表情が変わっていく時間帯。個人経営の店が多いため不定休の店も少なくない。
写真:車力門通りの中ほどから枝分かれする細い路地。石畳や小さな灯りに、花街として栄えた荒木町の面影が残る。(© Suma Wakui / the MICHELIN Guide)
曙橋 かず/Akebonobashi Kazu
荒木町の北の端、津の守坂そばに店を構える「曙橋 かず」。ここで供されるのは、素朴さを大切にしながら、工夫と手間をかけたコース料理。なかでも、修業時代から続けてきた土鍋の炊き込みご飯は、楽しみにしたい一品のひとつ。酒の種類も豊富にそろい、料理と合わせながらゆっくり過ごしたくなる。今回紹介する3軒のうちでは唯一、テーブル席も用意している。店主の松尾和也さんはこぢんまりとした店が多い荒木町では、自分に合う一軒に出会えるよう、少し下調べをして訪れるのがおすすめだと話す。
気になる店の扉を開けるまでには少しどきどきすることもあるけれど、まずは予約した店の席につき、言葉を交わすうちに、緊張も少しずつほどけていく。そんな夜の始まりを、居心地よく受け止めてくれる一軒。
今回、街についてお話を伺ったのは、荒木町商店会・広報の塩見文枝さん。会社員から荒木町芸者へと転身した塩見さんは、日本文化の伝道師としても活動し、紹介制サロン「穏の座」や、向かいにある檜舞台付きの座敷「荒木町 舞台 津の守」を拠点に、芸者ショーも行っている(要予約)。
塩見さんが話してくれたのは、荒木町では最初の一軒を予約しておくこと。そして店の人に二軒目を尋ねながら過ごす楽しさについて。食事を終えたあと、町散歩をしたい、もう一杯楽しみたいと思ったら、次に向かう先はその店の人に聞けばいい。はしごするうちに、この街ならではの距離感や空気が少しずつ見えてくる。
歩く
明るい時間の荒木町にも触れてみたい。早めに町を訪れ、夕食までの時間を界隈で過ごすのもいい。新宿区立新宿歴史博物館では、荒木町界隈や新宿一帯がどのように移り変わってきたのかを予習できる。背景を知ってから歩くと、夜の路地の見え方も少し変わってくる。
策の池(むちのいけ)も、この街の地形を感じられる場所のひとつ。荒木町のすり鉢状の地形の底部にあたり、かつては落差4メートルほどの滝があり、池のある場所が最も深い滝壷だったとも伝わる。徳川家康が鷹狩りの帰りに泉水で策を洗ったという「策の井」の伝承から、「策の池」と呼ばれるようになったという。
荒木町の東側、モンマルトルの坂と名付けられた階段(© Suma Wakui / the MICHELIN Guide)
車力門通りの中ほどにある荒木公園も、この街らしい一角。金丸稲荷神社に隣り合い、春には桜が咲く。燗コーヒー 藤々の二人が話していたのも、この公園のことだった。新宿通りを挟んで南側まで足を延ばせば、東京四谷総鎮守の須賀神社へ。人気アニメの一場面でも知られる男坂があり、界隈歩きの寄り道にも向く。甘いものが欲しくなったら、大角玉屋 四谷店へ。名物のいちご大福のほか、手土産にもしたくなる和菓子がそろう。
次の一軒へ
荒木町の夜は、食事だけで終わらない。もう少し飲みたいと思ったときに立ち寄れるバーが点在している。次の一軒が自然に見つかるのも荒木町らしさ。今回紹介した3軒の店主が紹介してくれたのは、「アンビシャス」のようなオーセンティックなバー、「Bar au bout du monde」や「よつやこくている」のように落ち着いて一杯を楽しめる店、「Winebar honest」のようにシャンパーニュやワインに強い店、そして「ピガール」のような昔ながらの趣を残す一軒まで、選択肢は幅広い。
写真:荒木町の石畳の路地 (© Suma Wakui / the MICHELIN Guide)
泊まる
宿泊先はミシュランガイドのホテルセレクションから選びたい。荒木町に近い新宿エリアなら、西新宿のキンプトン新宿東京やパーク ハイアット 東京。歌舞伎町の北側には、ベルスター東京や新宿グランベルホテル。落ち着いた雰囲気を好むなら、赤坂方面のザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町や、ホテルニューオータニ(東京)エグゼクティブハウス 禅も候補になる。
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Header image:荒木町中心部にある金丸稲荷神社付近 (© Suma Wakui / the MICHELIN Guide)