カレーの聖地としても知られる神田。ビル地下でひっそり営む「ビリヤニ大澤」は、完全予約制のビリヤニ専門店。メニューはたった一皿のみ。それでも連日、予約は争奪戦となる。なぜ、ビリヤニに人は惹きつけられるのか。「ミシュランガイド東京2026」でビブグルマンとして初掲載された話題の店、オーナーシェフ大澤孝将氏に話を聞いた。
なぜ、ビリヤニという選択に?
学生時代、インドでビリヤニという料理に出会った時から、そのおいしさを追求し続け、調理歴は15年以上になる。
南インドを旅する中、街のあちこちにあるビリヤニの看板が目に入った。試しに食べてみたところ、そのおいしさに衝撃を受けた。タミルナードゥ州では、鍋一つで営業する屋台から、流れ作業でビリヤニを炊く大型店まで、たくさんの店がある。大澤さんは、現地の店に次々と入り、そのおいしさを確かめた。
幼少期から味のついた米が好きだった。一番好きな炊き込みは松茸ごはん。そして最も好きな料理はすし。だが、海鮮丼では具よりも、醤油味のご飯をむしろ好むという点がユニークだ。
ビリヤニは大鍋で大量に作ったほうが香りもよく、おいしく仕上げることができる。手間と時間がかかる料理で専門技術が必要。大澤さんが日本に帰った当時はまだ、インドで食べたようなビリヤニ専門店は無かった。そこで店を貸し切り、SNSを通じて人を集め、たびたびビリヤニを食す会を開催した。そうしているうちに、よりおいしく、より多くの方に楽しんでもらうことを考えるように。当初は、職場のレストランの定休日を間借りした。
ビリヤニと向き合うと決めた大澤さんは二年後、さらにその一年後インドへ向かった。言葉はわからなくても、店の勝手口から尋ねると、どの店も快く見せてくれた。ハイデラバードという街では、ランチに3000人前も出す店もあり、炊きたてのビリヤニが供されていた。
神田の自店は、10人掛けのコの字型カウンター。昼も夜も二回転の営業とし、これには理由がある。間借り営業の時代は、客を自由な時間に受け入れるスタイルだった。しかし、炊きたてのおいしさを提供できないと悩み、客が揃ってから作ることを試した。時には2時間も待たせてしまい、叱られた日も。宮廷料理から発展したビリヤニ。もしかすると、飲食店には向かないのかと悲観的になることもあったが、最もおいしいタイミングで提供することにこだわり続けた。
その後、シェアハウスを借りてビリヤニを一斉に提供する場を得た。そこは“ビリヤニハウス”と呼ばれるようになり、大澤氏の研究所ともいえる場所だった。そこでの活動が評判を呼び、予約制とした。
大澤さんが目指すのは、おいしいビリヤニを追求すること。要は米だという。いかに、米=バスマティライスをおいしく炊くかが重要。二子玉川にあるすし屋と出会い、酢飯のおいしさに感銘を受けた。おいしさのためには労力をいとわない姿勢も学んだ。コロナ禍となり、ビリヤニハウスに人を集めてビリヤニを振舞うことは難しくなった。ならば、最高のクオリティのビリヤニを味わってもらうためにも、店を持てばいいと考えるように。すし屋のように完全予約制、一斉スタートと決めたのはその時だった。
メニューは、その日のビリヤニ一種のみ。定番はマトンかチキンのいずれかで、時折、限定メニューも登場する。海老はあらゆる種類を試した結果、もっともおいしかったオマール海老を使う。冬眠前のあなぐまのビリヤニも「ビリヤニハウス」時代から人気。そして面白いのは、最高のビリヤニはコーラで完結するとの考え。提供のタイミングは、早め・遅め・食後から選択できるが、大澤さんのおすすめは食後。インドでは、ビリヤニ×コーラの組合せは定番で、多くの看板やポスターで見かける。
また、スプーンの材質は、料理の香りを損なわないよう、ホウロウを選択。そもそも、インドの食事作法では手食(てしょく)が一般的で、ビリヤニの場合も具材と米のバランスを調整しながら食すことで、感触と食感と味の変化を楽しめる。ただし、我々は無理をせず、このホウロウのスプーンであれば十分おいしくいただけるそう。
一鍋のなかで味の変化を付けるために、具と米、味の沁みこみ具合が地層のようなグラデーションになるよう炊き上げる。さらに混ぜ具合を調整しながら盛り付ける。店の雰囲気についても、会話が弾み、炊きたてのビリヤニが出てきたことにさえ気が付かないという状態も避けたい。見知らぬ人が対面に映るコの字カウンターは料理に集中してもらうことも意図している。
どのお客様にも、その時々の店の雰囲気によって味の感じ方が変わってしまわないように空気感をコントロールすることも、おいしさを構成する要素の一つと考えて実践する。目の前に運ばれる炊きたてのビリヤニから立ち昇る、香りのシャワーを浴びてほしい。考えうる限りの最高の状態を目指すために。
大澤さんの判断の軸は、ビリヤニがおいしいかどうか。状況や雰囲気、誰が作るかも、大切な要素かもしれないが、大澤さんにとっては、鍋の中がおいしさのために計算された数値になっているかどうかが重要だという。自分でなくても、研究しつくされた方程式で同じ様においしくできればいいという。
「料理は科学だ」と語り、例を挙げるならば、米は100.1℃の加熱水蒸気で炊くこと。温度の違いで味や状態が全く変わる。鍋の中の2か所の米の層を温度管理しながら炊き上げる。玉ねぎも旨みをとどめながら油で脱水調理する。一つの料理と毎日、丁寧に向き合うからこそ、すべての工程において、何が起きているのかを観察し、判断することができる。
インド料理においては、香りが重要視される。一品一品が異なる香りでないと満足させることはできないそう。火の入れ方やニンニクのおろし方、材料の投入のしかたなど、いろいろな要素によって香りが変わってくる。
2025年の冬、ドバイで実施したポップアップイベントでは、現地でも大盛況で口コミでも広がった。大統領の祝賀会に、ビリヤニをケータリングとして提供する機会にも恵まれた。
現状、店の予約が取りにくい状況の中、公平に機会が得られるように、毎日一週間後の予約が解放される。誰もにチャンスがある。
大澤さんは今後について、「海外展開も視野にいれている。中東やインドなど、現地の方が食べてもおいしいと思えるビリヤニを作りたい。世界中で色々な食材をつかって、自由にビリヤニを作りたい」と目を輝かせる。
一皿のビリヤニに、これほどの想いが込められていることに驚かされる。そして、それを「科学」や「理性」で語りながらも、根本にあるのは「ただ、おいしいものを届けたい」という純粋な思い。
火を見つめ、香りを読み、数値を記録する。理性と情熱のあいだで、観察と試行を積み重ねる日々が、ビリヤニをまた一歩、進化させてゆく。
Hero image: © Ryo Tsuchida / Biriyani Osawa